因果応報

2010.02.06 Saturday | by kawa-su
 

輪廻ではなく、因果応報を否定する説に心が魅かれるのは、何となく解る気がする。『自分の現状が貧乏だとか病気なのは前世において悪い事をしたからだ』なんて言われても誰もがピンとこないだろう。

「日本が中国、朝鮮に侵略したのを反省しろ」と戦争を経験した事のない私達の世代に言われるより、過去世の因縁はもっとピンとこないと思う。

覚えのない事に関して反省する事は難しいし、反省する事が出来る人がいるなら、その人がおかしいのではないだろうかと思ってしまう。
 「現在は過去からの繋がりによって存在するのはわかるが、悪い事をしても何十年か経てば時効があるし、人間は生きているのだから時がたてば全ての細胞が新しい細胞になってしまい、心の中も変わってしまって過去の責任を放棄したくなる」なんて事を言いたくなるのも因果応報を信じないからだ。

現代の人々の一部は因果応報なんて信じないから悪い事はするし、人を助けるなんてしない。
 古代インドのゴーサーラがおこしたアージーヴィカ教が大宗教となったのは現代人と同じ様な人々
(因果応報を信じない)が多くいたということでもある。

古代人は全員宗教に取り込まれ、神様がみているから悪い事はできない人々だと我々現代人は考えそうだが、そんな事はなく、すくなくとも古代インド人は、現代人と同じ様な考え方をしていたということである。

仏教の経典にも六十二の見解(ジャイナ教では三百六十三の見解があった)と九十六の諸説があったと記されているから、六人の自由思想家以外にも沢山の自由思想家がいて、現代の思想と同じ様な思想は、釈迦の時代に全てあったと考えられる。

アージーヴィカ教は大宗教となったが、仏教やジャイナ教の様に、現代まで続く大宗教とはならなかった。

宗教から因果応報を取ってしまったら最終的に宗教として残らないと私は考えるから、アージーヴァカ教に理解は持てても、消え去るのはしかたがないことだろうと思う。

仏教やジャイナ教は、結局バラモン教を引き継ぎ、宗教の王道を進んだので大宗教となっていったのだろう。

哲学や思想は、釈迦の時代全て出尽くしたと思われるぐらい出ただろうが、宗教となると、神や仏、死後を安心する事等がその思想にないと、普通の修行者はそこに入門するのを不安になるだろう。
 仏教はその間題を真正面から取り上げていたので、宗教として残って行ったのではないかと考える。

ただこの考え方もジャイナ教と仏教は現代でも教えが残っているが、他の宗教は全て消滅してしまったので、仏教やジャイナ教からみた他の宗教(教え)ということであるから、本当の教義がどういう教えであったか知ることはできない。
 もしかしたらすばらしい教えであったが政治や力の関係によって消滅したのかもしれない。

釈迦が誕生した時代、古代インドは商業が活発になり、都市が造られ、ありとあらゆる考え方が世の中に広まっていたというエネルギーたっぷりの時代で、日本のバブル前夜と同じ様な時代であった。

そんな時代の変革期に、釈迦はヒマラヤの麓に生まれた。


輪廻思想

2010.02.05 Friday | by kawa-su
 

古代インドには転生思想はあったが輪廻思想はなかった。
 それが釈迦の時代より少し前から輪廻思想というものが生まれた。  
 転生思想とは、人は死んでも又、生まれ変わってくるという思想で、輸廻思想とは、又生まれ変わるのは同じだが、前世の
(ごう)をそのまま今世に持ってくるため、前世と同じ様な人生を送ってしまうという思想です。
 業とは悪い事をした時の罪みたいなものです。

ヴェーダの哲学書といわれるウパニシャッドを下敷きにして色々な思想が釈迦の時代前後に出てきたが、日本でも新しい宗教がおこる時は雨後の竹の子の如く色々な宗教が出てき、常にその基盤となっているのは仏教であるのと同じように、古代インドの基盤となっている宗教がウパニシャッドであった。

現代の日本で仏教を下敷きにして、新しい教団を造るところが沢山あるが、教団の中身は千差万別で人殺しの教団まで出てくると、そのような教団が何故仏教に繋がるのか私にはわからないが、教えを色々な方向にねじ曲げていくと、色々な考え方が出てくるのであろう。
 しかし、ねじ曲げていくものはいずれ取り残されていくものである。
 古代インドも輸廻思想をねじ曲げて出来た教えは、一度は興隆してもいずれ衰退していき、輪廻思想に真っ向から取り組んだ仏教が残っていったのである。

日本人のDNAの中には、仏教と先祖霊の敬いというものがはっきりと埋め込まれているので、輪廻思想というものが必ずどこかに染み込んでいる。
 そのため、日本人も輸廻思想の入っている宗教の方が馴染みやすくなっているように思える。

六人の自由思想家の説は現代でも通じるものばかりである。
 二千五百年位前の人が現代と同じ様な事を悩み思索していたなんて、人はそう変わらないのかもしれない。

アジタは「霊魂等存在しない」と言ったが現代の日本でも「霊魂なんか無い」と言う人は沢山いるだろう。
 これだけ科学が発達したから霊魂の存在を否定する人がいるのではなく、霊魂の存在を訴える人がいるから否定する人がでてくるだけなのだろうと古代インドを勉強すると思ってしまう。

ゴーサーラが「因果応報などない」と言ったのもまったく同じで、古代インドのバラモンが因果応報を説いたので否定したのだろう。(因果応報とはこの世界の全ての行動は原因があって結果があるということです。つまり悪い事をすれば、人に知られなくても悪い報いがあり、それとは逆に良い事をすれば良い事が身におこるということです)

それらの説は独自の説のようにみえるがウパニシャッドがあったからこそでてきた説のように私にはみえる。

輪廻を否定したアジタ、パクダの説はそれぞれ興味深いし、事実を表しているのかもしれないが、宗教としてそれらの説を支持する人は少ないだろう。

『自分が死んだらそれで終わり、来世なんてありゃしない』だったら、『この世界で好きな事をやった奴が得だし勝ちだろう』と、輪廻を否定した説に賛同した瞬間、その説を述べている仙人に付き修行する意味がまったくなくなるわけだから、その仙人から離れていくと思う。

どんな世界にも変わり者がいるし、修行者の中にも変わり者はいる。だからそれらの説に賛同する修行者はいただろうが、いずれ修行する意味がなくなるのでその説を述べる仙人から離れていく、そうなるとその説を述べる集団は存続が難しくなり、いずれ消滅してしまう。


六師外道

2010.02.04 Thursday | by kawa-su
 

釈迦の時代より少し前の時代から、ガンジス河流域は商業が発達し都市が造られ活気に満ちていた。
 国が豊かになってくると出家修行者もふえてくるし、名のある聖仙と呼ばれる出家者もでてきた。

ウパニシャッドの中心的な思想は梵我一如だが、それ以外にも輪廻、業、彼岸、涅槃等の思想も出家者の中心的課題であった。
 梵我一如という思想は修行者の目標であったが、輪廻、業、彼岸、涅槃等は修行とは別に、哲学的思想の拡がりをみせ、様々な修行者が独自の説を展開するのであった。

それらの説はウパニシャッドを飛び越える説もあり、バラモン教とは別の教えを修行者におしえるのであった。

バラモンの教えが全てだったのが、洗脳が解けたように新しい教えがうまれたのである。
 それらの思想を自由思想と呼び、それらの修行者を自由思想家と呼んだ。
 そして釈迦の時代より少し前から釈迦の時代にかけて六人の代表的な自由思想家が世にでた。
(仏教では六師外道と呼んでいる)

その中の一人アジタは「人間は地、水、火、風の四元素が複雑にからんで形をなし、死ぬとこれらの元素にどんどん分離されていって、霊魂などは存在しない」という唯物論を説く。

この論などは現代物理学と、とてもよく以ていると思う。
 勿論、地、水、火、風が物の構成原子と現代物理学は言っていないが、考え方としては同じではないだろうか。

アジタはこの様な説のため、輪廻思想を真っ向から否定し、全ての宗教的行事(葬式とか祭)の無意味を説いていた。

二人目のパクダは、アジタの四つの元素に苦、楽、霊魂の三つを加えた「七要素から構成され形をなしている」と説き、その要素は不変であると説いた。
 苦と楽と霊魂も実体的要素の中に入れるのがアジタと違うところだが、唯物論としては同じである。

三人目のゴーサ-ラは、地、水、火、風、苦楽、霊魂に加え、空、得、失、生、死の五つを加え十二要素を実体とした。
 彼は唯物論者ではないが因果応報を否定し、「輪廻は無因無縁に生じるので自分の意志は関係ない」とした。
 そのため、輪廻から離れ、涅槃に入るのも人の努力とは関係なく、長い時間、輪廻の中にいればいつか終わりが来て涅槃に入る。
 それは糸巻きの糸が、回していればいずれ糸巻きから離れるのと同じであると説いた。
 彼は人間の努力と涅槃
(悟り)とは別であると説いた。

四人目のプーラナも因果応報を否定した。
 彼は「どんなに悪い事をしても罪はなく、どんなに良い事をしても功徳はない」と説いた。

五人目のマハーヴィーラはジャイナ教(今もインドに残る大宗教)の祖である。

ジャイナ教の成立はとても仏教に似ているところが多い。
 そのため、ジャイナ教の教えの一部が仏教にも取り入れられている。
 ただ、修行はジャイナ教の方が明らかに厳しく、不殺主戒は徹底していた。
 例えば剃髪する時に刃物は使わず手で引っこ抜くのである。
 刃物を使うと毛の中にいる虫を殺す恐れがあるためだ。
 また、一切何も所有しないというところも徹底していたため、衣服も身に付けず裸行の修行者とも言われた。

このジャイナ教とゴーサーラのアージーヴィカ教、そして釈迦の仏教が大宗教として発展していった。

又、パクダとプーラナはアージーヴィカ教と密接な関係を持っており、広い意味でアージーヴィカ教といえる。
 そしてジャイナ教のマハーヴィ-ラもアージーヴィカ教のゴーサ-ラとは六年間一緒に修行したので両者の教えには近いものがあった。

最後の六人目がサンジャヤである。彼はウパニシャッドを真っ向から否定した。

ウパニシャッドは「知る事()が真埋に至る唯一の武器である」と説くが、サンジャヤはそれを否定したのである。

 しかし、その否定の仕方が「その通りだとも考えないし、違うとも考えない」という否定の仕方で否定している事も否定しているのである。
 彼の弟子には後に釈迦の弟子となるサーリプッタ
(舎利弗)、モッガラーナ(目蓮)がいた。

オームは聖音・観音は音を観(み)る

2010.02.03 Wednesday | by kawa-su
 

古代インドの修行で音というものはとても大事な存在であった。
 修行をして梵我一如を目指すのも梵天の音
()を聞くためであるし、仏教徒が無我を目指すのも仏の音()を聞くためである。

バラモンにとって一番大事で重要な音は『オーム』であった。
 あの日本を戦慄に落とした宗教団体の名と一緒であるが、その宗教団体も、このバラモンの『オーム』から名を取ったのだと思う。

『オーム』とは聖音といわれ、ヴェーダを唱える時、最初と最後に唱える(言葉)であり、『アーメン』と同じようなものである。

仏教で一番日本人が親しみを持っている菩薩に観音菩薩がいる。
 観音菩薩の正式名は観世音菩薩だが、観自在菩薩という名前も観音菩薩の事を指している。

観音菩薩が好きな人はこの二つの名前があるという事は知っているが、何故二つあるのか知っている人は少ない。
 答は簡単でインドの仏典を中国に持ってくると当然翻訳をする。その翻訳が人によって違ってたという事です。

観世音菩薩と訳したのは鳩摩羅什(くまらじゅう)(三四四―四一三)、観自在菩薩と訳したのは三蔵法師の玄奘(〔六百(六百二)―六六四〕、二人とも仏教を勉強している者にとっては超有名人である。

鳩摩羅什はインド人の父を持ち幼時インドに留学し、仏教を勉強した。
 玄奘
は仏教を漢訳した人物としてはナンバーワンで、彼以前の漢訳を旧訳と呼び彼の訳を新訳と呼ぶようになった。
 彼は大翻訳家であった。
 又、彼が仏教の原典を持ち帰ろうと天竺
(インド)の旅行を書いた大唐西域記は、孫悟空の西遊記の原典となった。

二人の観音菩薩の訳が違うのは、梵語の発音のとり方の違いであった。
 観世音菩薩の梵語はアヴァローキタスヴァラと呼び、観自在菩薩はアヴァローキテーシュヴァラであった。アヴァローキタは二人共
(見る)と訳しましたが鳩摩羅什はその
(あと)の言葉をスヴァラ()と訳し、玄 はイーシュヴァラ(自在)と訳したので観自在となったのです。

『観音菩薩の音を()るってどういう事』と思った人はたくさんいると思います。
 自在に観るならなんとなく分かる気がしますから観世音より観自在の方が正解の様な気がします。
 しかし、私は観世音の方がインドの考え方の様な気がします。

インドでは今でも太陽を見て(観て)太陽の音を聞くという修行があるそうです。
 何かを凝視する事によりその音を
(かん)じる修行はインド伝統の修行みたいです。
 インド人は音を神聖なものとして、とても大事にしてきました。
 その様なインド人気質を考えると観世音の方が納得するのです。

鳩摩羅什はそういうインド人の音に対するこだわりをよく理解していたのだと思います。

鳩摩羅什の訳で観音菩薩の他にもう一つおもしろい訳がある。
 それは妙法蓮華経の妙法である。
 妙法蓮華経の本来の訳は『白蓮のごとき正しい教え』であるため
竺法護(じくほうご)は正法華経と訳した。
 竺法護の訳したとおり普通なら妙ではなく正なのである。
 鳩摩羅什はこの経に関し、妙な経だなと思い妙法と名付けたのかもしれない。

 これらの訳の様に鳩摩羅什は正確な訳というより、独自に観じた訳をしたのかもしれない

十如是

2010.02.02 Tuesday | by kawa-su
 

仏教徒達はバラモン教に対抗するため梵天(真理の世界)と同じ意味だけれども違う言葉を捜し、それが如ではなかったかと私は推測する。

有名な法華経方便品第二で十如是がでてくる。
 十如是とは、如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等
。という十の如是から始まる法の実体です。

この十如是の書き下しも()くの如きのとなっている。
 是くの如きの相とか性では意味がわからない。
 これが如是の相、如是の性ならなんとなく意味が分かってくる。
 如
(
真理の世界)の相、如の性と続くと真理の世界の姿を説明しているのだと分かってくるでしょう。

つまり『仏の姿()は真理の相(表面にみえる姿)を持ち、真理の性質(内面のこと、精神とか心)を持ち、真理の身体を持っている。
 そして、その身体を持っているからこそ、真理の力を持ち、その力を作用させ、真理の因を創る事が出来、真理の因を創れば、真理の縁が生まれ、その結果、真理の結果となる、その結果こそ真理の報われといえる。
 それらは全て真理の世界においての事で、初まりから終りまでの無現の時間、究極の世界での事です』

というような意味だと、如の解釈によりできる。
 是くの如きの‥‥より、よっぽど意味が分かると思う。
 如是の是は是非の是で、肯定を表し、正しいとか、あっているという意味です。
 だから如是は正しい真理の世界となり、如是我聞は、『修行をし、自分の存在を極限まで純化させ、無我の境地になり、正しい真理の世界に入いり仏の話を聞いてきた』となるのです。

これならば釈迦が入滅しても、修行して我を極限にまで純粋にし、無我になり如の世界にいけば、仏(釈迦)の話()を聞く事が出来る。
 そして聞いてきた話
()を如是我聞として、経にすれば良いのである。

何百年もかけて作られる経もあるし、経の作者は常に仏ということも、こういう事なら納得しやすいだろう。

古代インドの修行者達は、霊的能力を身に付け神の声を聞く事を目的としていたのである。
 そしてその神が梵天の世界となり、仏教者達にとっては仏の世界となっていったのである。

つまり、ヴェーダは神がかりになった神仙が聞いた神の声で、仏典は、無我の境地になった仏弟子が仏の世界で聞いた仏の法ということです。

仏教では、目指す境地が仏の世界から仏の覚り(悟り)となり、成仏となっていく。
 大乗仏教に入いると信仰宗教も生まれてきたので、救済や浄土(天国)思想もでてくる。

しかし釈迦の時代、修行者達が目指してたのは、霊的能力であり、梵我一如であった。
 そして当然、釈迦もそれを目指していたのであるし、初期の仏教徒達も同じであった。

仏教がバラモン教に対抗して、無我、仏界を作るが、中身は同じであったのだ。

ウパニシャッドの梵我一如の思想はそれ故、新しい宗教、哲学の幕開けだったといえる。


如の世界に入いり仏の法を聞く

2010.02.01 Monday | by kawa-su
 

釈迦の時代前後、その様なすごい聖仙はバラモンでなければありえないと思ってた人々が、修行をすれば梵天(ブラフマン)の世界に入いれるという思想が出てきたため出家修行者を目指し、数多く出現した。

修行の始まりは苦行であった。
 断食をする、眠らない、人と会わない、身体を痛めつける等様々な修行があったみたいである。
 瞑想(禅、ヨーガ)もこの頃から修行者が積極的に取り入れたようである。

学者はこの神がかりになる修行にあまり注目していないようであるが、私は古代インドの修行者は、これを目指していたのだと考える。

仏教で「如是我聞(にょぜがもん)」という言葉が教の始めにでてくるが、この言葉は「()(ごと)く我、聞けり」と学者は訳すが、私は「(にょ)の世界に我(アートマン)は行き、仏の話を聞いてきた」と訳したい。
 そんな訳、今まで誰も発表した事がないため、まったく私の独断説となりますが、古代インドを考えたとき、それが一番自然の様に思えるのです。

仏教とは全て仏の教えであり、仏が述べた言葉であります。

釈迦の弟子にアーナンダ(阿難)という人物がいました。
 彼は十大弟子の一人で、
多聞(たもん)第一といわれていた。
 多聞とは多くの話
(
)を聞いているという意味で、釈迦の話()を一番多く聞いてたということです。
 常に釈迦のそばに使え釈迦が老齢になり旅にでた時もアーナンダだけが付き添っていた。

釈迦が入滅したとき、マハーカーシャパ(大迦葉)が釈迦の言葉()を残そうと釈迦の弟子を集めるが、そのとき釈迦の言葉()を思い出し述べたのがアーナンダである。
 そのため「如是我聞」の我はアーナンダだと学者も宗教家も決めつけている。

アーナンダが死んだ後の時代でも、新しく生まれた仏の教えには、『アーナンダが聞いた言葉()』を入れれば、つまり『如是我聞』を入れれば仏の法(経)となるという約束ができたと学者はいうが私はそうは思わない。

なぜならその様な事であればレベルの低い教えも数多く生まれ、仏教自体かなり混乱したと思うからだ。
 経とかヴェーダは絶対そういう事があってはならないものであるのだ。
 それは物凄い聖仙が最高の修行をして、神の世界、仏の世界に言って神、仏から法を聞いてこなければならないものなのである。

『如是我聞』の我もアーナンダなら『如是阿難聞』で良いはずである。
 四文字が五文字になるだけである。
 我という字は特別な字でアートマンを表すからこの我は梵我一如の純粋な我
(アートマン)と考えるのが自然だと私は考える。

如とは真理という意味だから如の世界とは真理の世界となる。仏のことを如来ともいうが、これは如の世界から来たもの、つまり真理から来たものということです。

古代インドで真理の世界とは梵天の世界の事でした。
 だから本当は如来の事を梵天来でも良いはずです。
 最も梵天と同じものという意味でブラーフマナ
(バラモン)という存在があるのですから新たに梵天来なんて言葉を作らなくてもよいのです。


霊的状態の真偽が問題

2010.01.31 Sunday | by kawa-su
 

古代インドの宗教は人々を救う宗教ではなく、自分を救う、自分のための修行が中心であった。
 釈迦の時代はそれが梵我一如であり、仏教ではブッダ、阿羅漢を目指していたのだ。
 両者とも目指す境地は違うが修行方法は似たようなものだったのではないかと推測できる。

修行の第一はヨーガ、瞑想、禅である。
 呼び名は違うが中身は同じ様なものだと思える。
 この修行は一種の巫女的境地を目指すものであろう。
 巫女的境地になったとき怖いのは魔に襲われることである。

釈迦が菩提樹の下で悟りを開こうと瞑想しているとき、その邪魔をしたのが魔である。
 薬や修行、又は神や霊が乗り移って覚醒した世界に入いると悟りを得たような錯覚をおこす。
 その世界が真の境地の世界なら問題ないが、そのほとんどは邪霊の世界で修行者を惑わそうとする。
 だから釈迦の悟りの時も魔という形で邪霊の世界が表現されるのだ。
 その邪霊の世界を見極めるために無我が必要なのである。
 我が汚れているから魔があらわれたり、邪霊の世界に入ってしまうのであって、無我ならば仏の世界に入いれるのだ。
 これは梵我一如でも同じだと思う。我が梵天の世界に入るためには我を純粋にしなければ入いれない。

日本神道でもさにわという存在がそれと同じようなものだろう。
 神がかりになった巫女の言葉が真の神の言葉か、動物霊等の、神ではない言葉なのか、それを判定するのがさにわなのです。

さにわが「これは動物霊がいわしめた言葉です」と言えば巫女は魔にやられたということだ。

神がかりになったり、霊の世界に入ったからといって、その世界が正しい神の世界(言葉)仏の世界とは限らないのである。

現代の人でも霊能者にみてもらった人は多少その事が分かると思います。

霊を降ろす人(女性が多いので私は霊のおばちゃんと呼んでいる)に見てもらうと結構当たる。
 「実家に橋が架かってるでしょう」「弟さんの嫁さんは来年家を出て離婚します
(二人の仲は破綻していて誰が聞いても離婚するだろうと思える状態)」なんていう事はよく当たるが、持ってる株が暴落した時、「株を売った方がいいか、持ってた方がいいか」なんて質問には逃げるか、外れるし、「難病を治す先生にはどこにいけばあえるか」なんていう質問の答えも外れる。
 自分にとってどうでもよい事は結構当てるのだが肝心な事に関しては、逃げの答えか間違った答えなのだ。

勿論、ずばり当てる霊能者もいるだろう。
 霊能者といってもレベルが色々あるのだと思う。

古代インドの修行者も一種の霊能者を目指し神や仏の世界に入いろうとしたのだと思う。
 しかし、神や仏の世界にはそう簡単に入いれるものではない。
 当たるも八卦当たらぬも八卦のレベルの世界なら現代のレベルの低い霊能者同様、沢山の修行者も入ったかもしれないが、その世界は魔の世界であって神や仏の世界ではないのだ。
 だからその世界に入いれるのは、よっぽど修行した聖仙でなければ不可能なことだと古代インド人は考えていた。

その様なすごい聖仙が神の世界に行って聞いてきた言葉だから、ヴェーダは人の説いた法ではなく神の言葉だと思い、古代インド人はヴェーダを神の言葉だと決め付けていたのである。


梵天、帝釈は仏の守護神

2010.01.30 Saturday | by kawa-su
 

釈迦の時代、梵天は最高神であった。
 最高神というより、神々を超えた宇宙の真理そのものであると考えられていた。
 修行者は梵天の世界と一体となることを目標に修行をしていたのである。
そして梵天の声を聞き言葉を述べるものをブラーフマナ
(その音を漢訳したのが婆羅門。ブラーフマナ―婆羅門―バラモン)といったのだ。
 そのためバラモンは梵天
(ブラフマン)と一体だと考えられていたのである。

だから釈迦は真のバラモンをめざし修行したのである。
 バラモンの境地を悟ることが解脱であり、輪廻から逃れることであったためだ。

釈迦滅後仏教教団は発展し、バラモン教と争うほどになった。
 仏教の最高峰は仏である。
 仏より上の存在はない。そのためバラモン教では最高峰の梵天も、仏教では仏より下の存在にしなくてはならないので、梵天は帝釈天と一緒に仏教の守護神となり、梵天の世界は仏の世界の下に置かれることになってしまった。

そうなると仏教徒達は梵我一如を目指すわけにはいかなくなる。
 梵天は仏の下なのだから。
 でも梵我一如は捨て去るにはほしい真理でもある。
 そこで無我という境地を生み出したのではないかと私は考える。


梵(ぼん)我(が)一如(いちにょ)

2010.01.29 Friday | by kawa-su
 

ウパニシャッドで一番の思想は梵我一如でしょう。
 この梵我一如という言葉は多くの人が知っていると思いますが、その思想はウパニシャッドから生まれたのです。
 この梵我一如という境地を得るために出家者は修行
(苦行)をするのでした。
 又、この梵我一如に対抗するように、新しく独自の法を説く自由思想家達が生まれた。
 そして釈迦もその一人であった。

梵我一如の意味は、梵が梵天(ブラフマン)、我が全てのものを取り除いた純粋な自分(アートマン)、その二つが真理()の世界ではまったく同じもの()だと私は解釈します。

この梵我一如という思想はウパニシャッドの中心的思想ですから後世色々な解釈がでてきます。
 そしてそれは、中心的な思想のため難しい解釈が多い。

仏教では梵我一如に対抗して無我という境地をつくりだす。
 何かを作るときは無我の境地にならなければだめだ
、なんてよく言うでしょう。
 その言葉は元々仏教から採った言葉なのです。

この無我の説明は難しい。
 無我とは自分が無いということだから自分が無ければ自分が死んだら自分は消滅してしまうのかとも取れてしまう。
 梵我一如なら我
(アートマン)という存在は永遠にあるのだから、死は肉体の死であって我(アートマン)の消滅ではないとなり、修行して我(アー卜マン)を梵天(ブラフマン)まで高めることが重要となり、死はなんら意味をもたないとなるから気持ちが安心する。

仏教では輪廻も認めているから無我はおかしいとバラモンから批判もでるが、私は、梵我一如も無我も同じ意味の様に考える。

仏道修行で無我の境地を得るには、禅を組んだり滝に打たれる修行をして自分の中にある我を追いだそうとするだろう。
 我を追いだすから無我なのだが、その目的地
(悟り)は梵我一如と同じにみえる。

では何故、仏教徒達は梵我一如ではなく無我でなければいけなかったのだろう。


ウパニシャッドと自由思想

2010.01.28 Thursday | by kawa-su
 

仏教は古代インド哲学の集大成

世界最古の哲学はギリシャではなくインドであると言わしめたヴェーダがウパニシャッドである。
 ウパニシャッドの出現によりヴェーダは巫女的宗教から哲学宗教へと変革、成長していった。

ウパニシャッドが生まれた背景にはアーリヤ人が先住民と共存し先住民の宗教をヴェーダの中に取り入れたからだと考えられる。

先住民の宗教は、人が死んだらどうなってしまうのか、死んだ後ふたたび生まれ変わるのか等宗教に対しての思索があったようで、その思索をバラモンの聖仙はより深く追究しようとした。

輪廻(りんね)(ごう)解脱(げだつ)、ダルマ(法、道)瞑想(めいそう)(ヨーガ)等、全てウパニシャッドから始ったか、深く追究されたものです。

輪廻、業、解脱等は仏教独自のものだと思ってた人は沢山いると思います。
 仏教は釈迦(仏)の悟りであるため、全ての法が仏よりでていると、大乗仏教を信仰していた我々日本人は考えていたからです。

 しかし原始仏教は、古代インド哲学の集大成だったのです。
 仏教はウパニシャッドを始めとするヴェーダ、そして、釈迦の時代前後に起こる新しい宗教を飲み込んで生まれ、宗教として勝者となったため、それらの思想を仏教とすることができたのです。

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