輪廻ではなく、因果応報を否定する説に心が魅かれるのは、何となく解る気がする。『自分の現状が貧乏だとか病気なのは前世において悪い事をしたからだ』なんて言われても誰もがピンとこないだろう。
「日本が中国、朝鮮に侵略したのを反省しろ」と戦争を経験した事のない私達の世代に言われるより、過去世の因縁はもっとピンとこないと思う。
覚えのない事に関して反省する事は難しいし、反省する事が出来る人がいるなら、その人がおかしいのではないだろうかと思ってしまう。
「現在は過去からの繋がりによって存在するのはわかるが、悪い事をしても何十年か経てば時効があるし、人間は生きているのだから時がたてば全ての細胞が新しい細胞になってしまい、心の中も変わってしまって過去の責任を放棄したくなる」なんて事を言いたくなるのも因果応報を信じないからだ。
現代の人々の一部は因果応報なんて信じないから悪い事はするし、人を助けるなんてしない。
古代インドのゴーサーラがおこしたアージーヴィカ教が大宗教となったのは現代人と同じ様な人々(因果応報を信じない)が多くいたということでもある。
古代人は全員宗教に取り込まれ、神様がみているから悪い事はできない人々だと我々現代人は考えそうだが、そんな事はなく、すくなくとも古代インド人は、現代人と同じ様な考え方をしていたということである。
仏教の経典にも六十二の見解(ジャイナ教では三百六十三の見解があった)と九十六の諸説があったと記されているから、六人の自由思想家以外にも沢山の自由思想家がいて、現代の思想と同じ様な思想は、釈迦の時代に全てあったと考えられる。
アージーヴィカ教は大宗教となったが、仏教やジャイナ教の様に、現代まで続く大宗教とはならなかった。
宗教から因果応報を取ってしまったら最終的に宗教として残らないと私は考えるから、アージーヴァカ教に理解は持てても、消え去るのはしかたがないことだろうと思う。
仏教やジャイナ教は、結局バラモン教を引き継ぎ、宗教の王道を進んだので大宗教となっていったのだろう。
哲学や思想は、釈迦の時代全て出尽くしたと思われるぐらい出ただろうが、宗教となると、神や仏、死後を安心する事等がその思想にないと、普通の修行者はそこに入門するのを不安になるだろう。
仏教はその間題を真正面から取り上げていたので、宗教として残って行ったのではないかと考える。
ただこの考え方もジャイナ教と仏教は現代でも教えが残っているが、他の宗教は全て消滅してしまったので、仏教やジャイナ教からみた他の宗教(教え)ということであるから、本当の教義がどういう教えであったか知ることはできない。
もしかしたらすばらしい教えであったが政治や力の関係によって消滅したのかもしれない。
釈迦が誕生した時代、古代インドは商業が活発になり、都市が造られ、ありとあらゆる考え方が世の中に広まっていたというエネルギーたっぷりの時代で、日本のバブル前夜と同じ様な時代であった。
そんな時代の変革期に、釈迦はヒマラヤの麓に生まれた。
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