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2018.05.15 Tuesday | by スポンサードリンク

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里づくり

2017.01.05 Thursday | by kawa-su

里づくりを仏教で考えるとどうなるか?

仏教の十界で言うと、都会暮らしは地獄から天までの六界(六道)を言い、里づくりは

四聖の中の声聞と縁覚を言う。ここで重要なのは里づくりでなく田舎暮らしだと都会暮らしと同じく六界になる。

もちろん例外はある。

都会暮らしでも田舎暮らしでも四聖の暮らしをしている人もいれば、里づくりをしている人でも、意味が分からなければ地獄の中に入ってしまうのだ。

そしてこれが重要なのだが、里づくりでも、本質が分からない指導者が指揮を執っている場合は、指導者が天の境地にとどまってしまうために、そこに集まる人々は地獄、餓鬼、畜生の境地の中に入ってしまう。

指導者がいず、自分だけで里づくりをしても、里づくりの本質を理解しないと地獄、餓鬼、良くて人の境地に留まってしまうだろう。

ただし、智慧の出る人ならば苦労はしても縁覚の境地にたどり着けるかもしれない。

智慧が出ると言うのは、自ら何かをしようとすれば出るものだ。しかし、この世界の教育(洗脳)が強い人は、常に誰かの教えを請おうとして自分の考えを出そうとしない。それ故、智慧も出ない。誰かのマネをしたり、技術を盗もうとするのは構わない。初めてなにかをするときは、どんな天才でもそのようにするからだ。しかし、そこでとどまると智慧は出ない。

例えば、里づくりの一環として農業をする。その時、ほとんどの人は有機肥料、無農薬野菜を作ろうとするだろう。そして、それが特別なものだと自慢したいはずだ。

しかし、今は昔と違い、田舎で自分が食べる野菜を作っている人は、ほとんどが無農薬で作っている。だから、特別ではなくなってきている。

そして、無農薬の野菜だからすべて良いと考えるのは、これも洗脳されているからである。

自分で考えようとしないで、都会から田舎に来て野菜を作る人はみんな無農薬を目指すから、それが正しい行為だと誰かの考えに賛同しているだけなのである。

無農薬野菜を作るのを目指すのは良い。しかし、それがどういう意味を持つのか自分の考えが出ない人は、時間とともに、地獄、餓鬼の世界に陥ってしまうだろう。

つまり、里づくりと言うのは単に田舎に行けばいいと言う話ではないのだ。

 


里づくり

2017.01.04 Wednesday | by kawa-su

里づくりとは何でしょうか?

これは宗教と関係あるのでしょうか?

普通、里づくりと言えば宗教ではなく生き方だ。

単純に言えば都会に住むか田舎に住むかということなので、これだと生き方であるし、経済的なことかもしれない。成功者は都会に住み脱落者は田舎に帰ると言うのはよくある話である。

私が住んでいた沖縄の島ではまさしくその通りで、島から出ていき成功したものは、そのまま帰ってこず都会で暮らし、都会で失敗したものは島に帰ってきた。

だから、島は高齢者と失敗者が大半を占めていた。

もちろん、田舎の自然にあこがれ引っ越して来たものと、生まれ故郷が好きだと言うものもいる。そして、島のリーダーになるものは移住者かUターン者が多い。これはエネルギー(力)が違うからで、新しいところに住もうと言う人は、失敗者とか先住者よりもやる気があると言うことでもある。

田舎の人の構成はほとんどこのパターンだが、酷いのは、高齢者を捨てに来る家族もいた。

もちろんその家族には捨てると言う意識は持っていないだろう。

おじい、おばあが生まれたところで住みたいと言ったから、小さな家(小屋)を造ってあげたと言うだろう、たとえ小さな小屋と言えど、数百万円はかかったと主張すると思う。

それでも、他人には捨てているように見える。

今、田舎に住むと言うことは悲しい現実を見ることであり、都会に住んでいる人からさげすまされることでもあるのだ。

では、視点を変えたらどうだろうか。

里づくりとは、人工的なものに囲まれて生きるのか自然に囲まれて生きるのかと言う定義にしたらすこし違ってくる。

そして、この定義には人工的と自然の説明をしなくてはならない。

一般的な印象では、人工的と言うと悪で、自然は善と言う印象がある。

しかし、そうなのだろうか?