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2017.03.06 Monday | by スポンサードリンク

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仏教の流れ(10年前の論文です)

2010.01.03 Sunday | by kawa-su
 15年位前から仏教を勉強し、10年くらい前にある程度の論文を書いたのだが、周りの人に見せても誰も興味を持たないし理解もしてくれないのでお蔵入りにしていた。
当時は本として出そうと思っていたが、誰も興味を示さないのでは出版しても意味の無いものだと思いそのままにしていた。
今はネット時代なので仏教を知りたいと言う変わり者もいるかもしれないと思いここに載せることにした。
これから書くことは仏教を勉強している人には常識なものばかりだが、勉強していない人には驚くことばかりだと思う。
スピリチュアルに興味を持ち仏教にも興味を持っている人は沢山いるが、ちゃんと勉強をしない人が多すぎる。カルト的な読み物は好きな人が多いが、カルト的なものを勉強する前にちゃんとした基礎を学ぶ必要があるだろう。


10年前に論文その1

尊称を使った一代記は信用おけない

 

今、世の中に存在している釈迦の情報、もしくはイメージは、仏教の中に存在している釈迦や教団の中に存在している釈迦であって、人間としての、個人としての釈迦ではない。その証拠に、釈迦の一生の本の題名にしても、釈尊、釈迦牟尼仏、仏陀、という尊称、敬称を多くの著者が使うだろう。

釈迦は、偉大な仏様だったのだから、そのような尊称を使うのは、あたりまえだという人も多いと思います。そこでそんな人達のために、ここに、題名としてひとつの例をあげます。

「日蓮の生涯」「日蓮聖人の生涯」「日蓮大聖人の生涯」「日蓮大聖人様の生涯」。

この四つの題名をみたとき、あなたはどの本を手にとりますか。

あなたが一般の人なら「日蓮の生涯」を手にするだろうし、日蓮系の信者なら「日蓮聖人の生涯」を、創価学会員なら「日蓮大聖人の生涯」を手にすると思います。さすがに「日蓮大聖人様の生涯」は、一般書店で販売はされず、教団内での販売となるだろうから、あなたが一般人の場合、それを手にすることはないでしょう。

このように、敬祢の使い方で、著者がその人物をどのように考えているのか、あるていど想像できるだろう。

公平にその人物のことが知りたい場合、尊称、敬称のついた題名はこのましくないというのは、誰でもわかると思う。では、釈迦に関してはどうなのだろうか。

実は、釈迦に関してはけっこう複雑で、単純に他の人と比較はできない。それは仏教の開祖だからとか、宗教上の理由からというだけではない。釈迦が個人名ならなんの間題もなく『釈迦の生涯』でいいのだが、釈迦とは個人をさしている姓名ではなく、種族をさしているため、厳密にいえば、個人としての釈迦は存在しないのである。よくつかわれる釈迦牟尼とは、釈迦族の聖者という意味である。そのため学者のほとんどは、釈迦個人の名称として『釈迦』という名称は使わない。

しかし私は、釈迦個人をさす名称として『釈迦』という名称を使ってもかまわないと思う。なぜなら日本人の大多数の人は、釈迦といえば仏教の開祖の名前だと思っているし、日本にも、地方の国の名前を自分の姓として使う例が多くあり、そのようなことに違和感がないからである。

 

シッダッタは釈迦の本当の名前ではない

地方の国の名を姓とする例をあげれば、足利尊氏や新田義定がそうである。もともとは、源 という姓なのだが、足利の土地、新田の土地に住んでいたから、それぞれ足利の尊氏、新田の義定といわれ、それが姓のかわりとなっている。(その姓のかわりを日本では苗字と呼んでいる)今の政治家でいえば新潟のまき子、神奈川の純一郎みたいなことである。だから、釈迦族のゴータマ・シッダッタのことを、略して釈迦でもよいと思うのだが。‥‥学者はそれを許さない。

釈迦でよいのではないのかという理由はまだある。釈迦の正式名はゴータマ・シッダッタといわれている。ゴータマは問題ないのだが、シッダッタはちょっと間題がある。シッダッタは本当の名前では、まずないのである。この名前は、釈迦滅後何百年も後につくられた名前なのだ。

本当の名前では、まずないという表現をするのには訳がある。シッダッタという名は原始聖典にはでてこず、仏伝の中にでてくる名前であり、この名前は「目的を完成している者」という意味である。目的を完成している者ということは誕生した時、もうすでに仏陀となっているということでもある。

これはどういうことかというと、釈迦滅後、何百年も経った頃、仏教徒達は偉大な仏陀が、この世で悟りを開き仏陀になったのではなく、過去において、すでに仏陀となっていたと考えたのだ。なぜなら、仏陀となるにはたいへんな修行が必要で、とてもいちどきりの人生だけで悟ることは不可能だと考え、釈迦牟尼は、遠い前世から仏陀だったから、この世に生まれても、仏陀の姿を現すことができたと考えたのだ。それゆえ、シッダッタという名前だったと想像したのであろう。

もともと、シッダッタという名前は釈迦だけにつけられた名前ではなく、ジャイナ教祖のマハーヴィラの父も、シッダッタという名だったという。実はジャイナ教にも、仏陀(ブッダ)という存在はでてくるのである。仏陀(ブッダ)は、けっして、仏教だけのオリジナルではないのだ。

つまり、釈迦滅後、何百年も経った頃、シッダッタという名は仏陀に相応しい名だと、誰もが納得した名前だったのである。それゆえシッダッタという名前は、釈迦滅後、何百年経った頃、仏教信者達によって、つくられた名前だと思うのだが、状況証拠だけなので、本当の名前では、まずないといわざるをえないのです。

 

釈迦は仏を目指していなかった

仏陀とシッダッタという名はとても縁が深いが、釈迦は仏陀をめざし修行したのではなく、真のバラモンをめざし修行していたのだから、実際は、釈迦と仏陀は縁が薄かったのである。

釈迦が仏陀をめざさなかったというと、ほとんどの人は驚くと思いますが、釈迦が生存していた時代、仏陀という存在は、それ程大きな存在ではなかった。おそらく仏陀と言う名称がでてきたのは釈迦滅後か釈迦存命時だとしてもほとんど老年時だと思われる。
そして、仏陀の存在が大きくなったのは、釈迦滅後の時代からなのです。つまり、釈迦はこの世を去ってから、後の信者達に仏陀にされたのであった。

このようにかくと、あまりにも唐突だと思われる人がほとんどでしょうが、ここではそのような唐突のことをくさるほど書いていきます。しかし、別にそれは突拍子のないことではなく、今の学者の研究を分析すると、そう考えるのが自然ではないかということなのです。

話はとんでしまいましたが、シッダッタという名前はゴータマと違い、後世につくられた名前だと思われるため『ゴータマ・シッダッタの生涯』だと、人間釈迦の生涯とはいいがたいのである。それでは『ゴータマの生涯』ではどうだろうと考えても、ゴータマだけでは、釈迦と同じく個人をさすのではないし、一般の人に『ゴ―タマの生涯』の題名では、いったい何の本なのかわからないであろう。だから『ゴータマの生涯』なら『釈迦の生涯』の方が一般の人にはわかりやすいはずだ。だから、釈迦という名称をつかっても、それ程間違いではないと私は考えるのです。

尊称をつかえば、読者に対し公平に移らないと思われてしまうのに、なぜ、学者の先生たちは釈迦に対し、釈尊とか仏陀という尊称をつかうのだろうか

その理由のひとつとして、宗教の研究をしていると、いつのまにか心の中に信仰心がうまれ、又は、最初から信仰心があるため、学者になり仏教を研究するので、釈迦に対し尊祢をつかうということがあると思われる。又、当然、続者層のほとんどが仏教信者だろうから、それを配慮して尊称をつかうということもあるだろう。しかし、一番重要なことは、仏典並びに仏伝においての釈迦は、その存在がほとんど仏陀として登場するため、その呼称をつかったと思われる。

日本を恐怖に陥れたオウム真理教の教主も、信者が尊師と呼んでいたため、マスコミは報道の初めの頃、テレビで尊師という尊称をつかっていただろう。しかし、そうはいっても尊称は尊称である。だから、尊師が尊称だと気づいたマスコミから、だんだんと尊師とはいわなくなった。

もちろん釈迦に対して、ほとんどの人は尊称をつけたいだろうが、釈迦を人間としてみたとき、よけいな尊称は逆に、釈迦の生き方を否定するのではないかと思ってしまう。だから釈迦に対しても、適切な呼称があってもよいのではないかと思うのだが‥‥

信仰は切り離し、学術的な釈迦の呼称で適切なものはないかと考えると、一番はゴータマ・ブッダであろう。仏教は仏の教えなのだから、仏、すなわちブッダという呼称を付けざる得ない。しかし、ブッダとは釈迦だけに特定されないため、ゴーダマ・ブッダなら、はっきり釈迦個人を指すことができるため適切である。

又、仏もしくは仏陀と漢字でかくとあきらかにそれは、この世界で最高な存在に与えられる尊祢であるが、カタカナのブッダだと「めざめた人」という意味もあるので、現代でいえば教授ぐらいの呼称と考えることができる。もちろん仏典、仏伝の中にでてくるブッダのほとんどは尊称なのだが、ブッダという呼称が初めて世にでてきたときは、後の時代のような最高尊称ではなかったので、ゴータマ・ブッダという呼称が学者にとっては一番適切なような気がする。しかし、私は仏典、仏伝にでてくる釈迦を描く、というより、人間としての釈迦を描きたいためゴータマ、ブッダより、釈迦か、ただ単にゴータマという呼称をつかいたい。


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電車でペッティングしてきた(笑)
年末の混みこみ電車の中でペッティングしてきた(笑) 回りを気にせず立ちバックで中に出したら、両手で吊り革にぎってヨダレたらしてた(爆笑) それでお礼に39マン頂きました(笑)
  • オナニー五段
  • 2010/01/03 10:35 AM
*〔しーたろう〕の「プラ板で作るブルーリボンバッジレシピ」*
早くも明日が仕事始めという方も多いと思います。当ブログも明日からは“通常営業”の予定ですが、本日までは〔しーたろう〕が「休日モード」全開で進行させて頂きます☆
  • ガラス瓶に手紙を入れて
  • 2010/01/03 11:55 PM
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