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如の世界に入いり仏の法を聞く34

2010.02.01 Monday | by kawa-su
 

釈迦の時代前後、その様なすごい聖仙はバラモンでなければありえないと思ってた人々が、修行をすれば梵天(ブラフマン)の世界に入いれるという思想が出てきたため出家修行者を目指し、数多く出現した。

修行の始まりは苦行であった。
 断食をする、眠らない、人と会わない、身体を痛めつける等様々な修行があったみたいである。
 瞑想(禅、ヨーガ)もこの頃から修行者が積極的に取り入れたようである。

学者はこの神がかりになる修行にあまり注目していないようであるが、私は古代インドの修行者は、これを目指していたのだと考える。

仏教で「如是我聞(にょぜがもん)」という言葉が教の始めにでてくるが、この言葉は「()(ごと)く我、聞けり」と学者は訳すが、私は「(にょ)の世界に我(アートマン)は行き、仏の話を聞いてきた」と訳したい。
 そんな訳、今まで誰も発表した事がないため、まったく私の独断説となりますが、古代インドを考えたとき、それが一番自然の様に思えるのです。

仏教とは全て仏の教えであり、仏が述べた言葉であります。

釈迦の弟子にアーナンダ(阿難)という人物がいました。
 彼は十大弟子の一人で、
多聞(たもん)第一といわれていた。
 多聞とは多くの話
(
)を聞いているという意味で、釈迦の話()を一番多く聞いてたということです。
 常に釈迦のそばに使え釈迦が老齢になり旅にでた時もアーナンダだけが付き添っていた。

釈迦が入滅したとき、マハーカーシャパ(大迦葉)が釈迦の言葉()を残そうと釈迦の弟子を集めるが、そのとき釈迦の言葉()を思い出し述べたのがアーナンダである。
 そのため「如是我聞」の我はアーナンダだと学者も宗教家も決めつけている。

アーナンダが死んだ後の時代でも、新しく生まれた仏の教えには、『アーナンダが聞いた言葉()』を入れれば、つまり『如是我聞』を入れれば仏の法(経)となるという約束ができたと学者はいうが私はそうは思わない。

なぜならその様な事であればレベルの低い教えも数多く生まれ、仏教自体かなり混乱したと思うからだ。
 経とかヴェーダは絶対そういう事があってはならないものであるのだ。
 それは物凄い聖仙が最高の修行をして、神の世界、仏の世界に言って神、仏から法を聞いてこなければならないものなのである。

『如是我聞』の我もアーナンダなら『如是阿難聞』で良いはずである。
 四文字が五文字になるだけである。
 我という字は特別な字でアートマンを表すからこの我は梵我一如の純粋な我
(アートマン)と考えるのが自然だと私は考える。

如とは真理という意味だから如の世界とは真理の世界となる。仏のことを如来ともいうが、これは如の世界から来たもの、つまり真理から来たものということです。

古代インドで真理の世界とは梵天の世界の事でした。
 だから本当は如来の事を梵天来でも良いはずです。
 最も梵天と同じものという意味でブラーフマナ
(バラモン)という存在があるのですから新たに梵天来なんて言葉を作らなくてもよいのです。


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