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六師外道37

2010.02.04 Thursday | by kawa-su
 

釈迦の時代より少し前の時代から、ガンジス河流域は商業が発達し都市が造られ活気に満ちていた。
 国が豊かになってくると出家修行者もふえてくるし、名のある聖仙と呼ばれる出家者もでてきた。

ウパニシャッドの中心的な思想は梵我一如だが、それ以外にも輪廻、業、彼岸、涅槃等の思想も出家者の中心的課題であった。
 梵我一如という思想は修行者の目標であったが、輪廻、業、彼岸、涅槃等は修行とは別に、哲学的思想の拡がりをみせ、様々な修行者が独自の説を展開するのであった。

それらの説はウパニシャッドを飛び越える説もあり、バラモン教とは別の教えを修行者におしえるのであった。

バラモンの教えが全てだったのが、洗脳が解けたように新しい教えがうまれたのである。
 それらの思想を自由思想と呼び、それらの修行者を自由思想家と呼んだ。
 そして釈迦の時代より少し前から釈迦の時代にかけて六人の代表的な自由思想家が世にでた。
(仏教では六師外道と呼んでいる)

その中の一人アジタは「人間は地、水、火、風の四元素が複雑にからんで形をなし、死ぬとこれらの元素にどんどん分離されていって、霊魂などは存在しない」という唯物論を説く。

この論などは現代物理学と、とてもよく以ていると思う。
 勿論、地、水、火、風が物の構成原子と現代物理学は言っていないが、考え方としては同じではないだろうか。

アジタはこの様な説のため、輪廻思想を真っ向から否定し、全ての宗教的行事(葬式とか祭)の無意味を説いていた。

二人目のパクダは、アジタの四つの元素に苦、楽、霊魂の三つを加えた「七要素から構成され形をなしている」と説き、その要素は不変であると説いた。
 苦と楽と霊魂も実体的要素の中に入れるのがアジタと違うところだが、唯物論としては同じである。

三人目のゴーサ-ラは、地、水、火、風、苦楽、霊魂に加え、空、得、失、生、死の五つを加え十二要素を実体とした。
 彼は唯物論者ではないが因果応報を否定し、「輪廻は無因無縁に生じるので自分の意志は関係ない」とした。
 そのため、輪廻から離れ、涅槃に入るのも人の努力とは関係なく、長い時間、輪廻の中にいればいつか終わりが来て涅槃に入る。
 それは糸巻きの糸が、回していればいずれ糸巻きから離れるのと同じであると説いた。
 彼は人間の努力と涅槃
(悟り)とは別であると説いた。

四人目のプーラナも因果応報を否定した。
 彼は「どんなに悪い事をしても罪はなく、どんなに良い事をしても功徳はない」と説いた。

五人目のマハーヴィーラはジャイナ教(今もインドに残る大宗教)の祖である。

ジャイナ教の成立はとても仏教に似ているところが多い。
 そのため、ジャイナ教の教えの一部が仏教にも取り入れられている。
 ただ、修行はジャイナ教の方が明らかに厳しく、不殺主戒は徹底していた。
 例えば剃髪する時に刃物は使わず手で引っこ抜くのである。
 刃物を使うと毛の中にいる虫を殺す恐れがあるためだ。
 また、一切何も所有しないというところも徹底していたため、衣服も身に付けず裸行の修行者とも言われた。

このジャイナ教とゴーサーラのアージーヴィカ教、そして釈迦の仏教が大宗教として発展していった。

又、パクダとプーラナはアージーヴィカ教と密接な関係を持っており、広い意味でアージーヴィカ教といえる。
 そしてジャイナ教のマハーヴィ-ラもアージーヴィカ教のゴーサ-ラとは六年間一緒に修行したので両者の教えには近いものがあった。

最後の六人目がサンジャヤである。彼はウパニシャッドを真っ向から否定した。

ウパニシャッドは「知る事()が真埋に至る唯一の武器である」と説くが、サンジャヤはそれを否定したのである。

 しかし、その否定の仕方が「その通りだとも考えないし、違うとも考えない」という否定の仕方で否定している事も否定しているのである。
 彼の弟子には後に釈迦の弟子となるサーリプッタ
(舎利弗)、モッガラーナ(目蓮)がいた。

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王様扱いウマーw
まさかオナホをあんな風に使ってくるとは思って無かったぞ( ̄0 ̄)w 一日経ってもまだ下半身ヒクヒクしてるし(;´▽`A
  • キングダム
  • 2010/02/05 7:44 AM