<< 里づくり | main | 三蔵 >>

スポンサーサイト

2017.03.06 Monday | by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


里づくり

2017.01.05 Thursday | by kawa-su

里づくりを仏教で考えるとどうなるか?

仏教の十界で言うと、都会暮らしは地獄から天までの六界(六道)を言い、里づくりは

四聖の中の声聞と縁覚を言う。ここで重要なのは里づくりでなく田舎暮らしだと都会暮らしと同じく六界になる。

もちろん例外はある。

都会暮らしでも田舎暮らしでも四聖の暮らしをしている人もいれば、里づくりをしている人でも、意味が分からなければ地獄の中に入ってしまうのだ。

そしてこれが重要なのだが、里づくりでも、本質が分からない指導者が指揮を執っている場合は、指導者が天の境地にとどまってしまうために、そこに集まる人々は地獄、餓鬼、畜生の境地の中に入ってしまう。

指導者がいず、自分だけで里づくりをしても、里づくりの本質を理解しないと地獄、餓鬼、良くて人の境地に留まってしまうだろう。

ただし、智慧の出る人ならば苦労はしても縁覚の境地にたどり着けるかもしれない。

智慧が出ると言うのは、自ら何かをしようとすれば出るものだ。しかし、この世界の教育(洗脳)が強い人は、常に誰かの教えを請おうとして自分の考えを出そうとしない。それ故、智慧も出ない。誰かのマネをしたり、技術を盗もうとするのは構わない。初めてなにかをするときは、どんな天才でもそのようにするからだ。しかし、そこでとどまると智慧は出ない。

例えば、里づくりの一環として農業をする。その時、ほとんどの人は有機肥料、無農薬野菜を作ろうとするだろう。そして、それが特別なものだと自慢したいはずだ。

しかし、今は昔と違い、田舎で自分が食べる野菜を作っている人は、ほとんどが無農薬で作っている。だから、特別ではなくなってきている。

そして、無農薬の野菜だからすべて良いと考えるのは、これも洗脳されているからである。

自分で考えようとしないで、都会から田舎に来て野菜を作る人はみんな無農薬を目指すから、それが正しい行為だと誰かの考えに賛同しているだけなのである。

無農薬野菜を作るのを目指すのは良い。しかし、それがどういう意味を持つのか自分の考えが出ない人は、時間とともに、地獄、餓鬼の世界に陥ってしまうだろう。

つまり、里づくりと言うのは単に田舎に行けばいいと言う話ではないのだ。

 


スポンサーサイト

2017.03.06 Monday | by スポンサードリンク

Comment
Add Comment









Trackback URL
Trackback