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創価学会の利善美

2017.01.16 Monday | by kawa-su

天台大師の教義は一念三千、日蓮は三大秘法、では、創価学会はと言うと、これは利善美である。

創価学会の初代会長牧口恒常三郎(この時の名称は創価教育学会)は現世の価値を、従来のプラトンやドイツ哲学カントの真善美から利善美と唱え、それが創価教育学会創設の教義となった。

創価とは利善美のことであり、従来の真善美の真を利に置き換えた理論である。つまり、真ではなく利が重要だと言うことでもある。

これが分かれば創価学会の行動がよくわかるともいえる。

牧口は小学校の校長で右翼思想の持主であった。

右翼の信奉する宗教者と言えば日蓮があげられる。

日蓮は外敵(蒙古)から日本を守ったと日蓮信者には思われていて、その外敵から守ると言うことが右翼から指示されているようだ。

それ故、牧口が日蓮に注目したのは必然でもある。

牧口は書籍の中で「科学と反する宗教、対立する宗教は真実の宗教ではない」
「処女が子供を生んだり 死んでからうろうろ歩いているキリスト教のごときは 根本が誤りである。さればその宗教を正しいとするためには 科学と対立することとなる」
「死んでから十万億土の西方浄土へ生まれるという事は釈迦の一時的仮説であっても 証明も 説明もなし得ない事であるから 科学とは妥協できないのは云うまでもない」
「真実の宗教は 科学的な実験証明がなされねばならぬ」
「日本で役立っているが印度では駄目だとか 百年前にはよかったが 百年後には役に立たなくなると云うものではならない」
「釈尊の研究の最高峰は法華経である」
「法華経に説かれた教えをごく簡単に云うなら、仏の境涯をさとり得たる人格の出現は一切を仏にせしめんとするにある」
「日蓮大聖人は一切衆生を幸福に導いて行く本尊を出現せしめた」
「この御本尊を信じて 南無妙法蓮華経と唱えるにあって、この実践行動によって 人類は幸福になりうる」

と書いている。

科学と宗教……まるで幸福の科学のようでもある。

しかし、科学とは論理的なものである。処女懐胎や復活が科学的でないと主張するのは、確かにその通りだが、宗教とはそういうものだろう。科学的な宗教なんて見たことがない。

だいたい、牧口が言う釈尊の研究の最高峰は法華経であると言う主張もどこが科学的なのだろう。独善的な決めつけ論理に過ぎない。小学生には通用するかもしれないが中学生には無理だろう。

だいたい、釈迦が生きていた時代に法華経は生まれていなかったから、完全に科学的ではない。

日蓮大聖人が本尊を出現させ南無妙法蓮華経と唱える実践行動が人類の幸福につながるなんて宗教で通用しても科学で通用するわけがない。どこにも論理がないのだから。

牧口は、百年前は良かったが百年後には役に立たなくなるものではないと断言するのは、宗教では確かにそうだろう。

しかし、科学は発展するものだから百年前のものが駄目になるのは当たり前である。

それでも、宗教の教えは年数によって駄目になるものではないと言うのは分かる。しかし、日蓮の教えは末法と言う釈迦の教えが通用しなくなったから新しい教えが必要になったと言うところから出発している。

つまり、牧口の言うことは宗教としてはもっともなのだが日蓮の教えとは反対の立場になると言うことでもある。

これだけおかしな論理でも、ついてくる人がいると言うことは、科学的でもなく、単について来る者たちのレベルが低かったと言える。

しかし、宗教とはそういうもので、レベルが低ければ低いほど、多くの信者を集めるのである。

それに、牧口の言う利とは、確かに庶民には魅力だ。

ご本尊に向かい南無妙法蓮華校と唱えれば幸せになれるのならこれほどの利はないだろう。

牧口は何が利するかを考え、日蓮正宗を利用することを考えたのだと思う。

日蓮正宗を利用して組織を作り、その組織で何かをしようと考えたのだろう。

その何かは右翼だから右翼団体を作ろうとしていたのかもしれない。

しかし、それは獄死と言う結末で終わったため、弟子の戸田が引き継いだ。

戸田は経済人だから利と言うものを一番理解していた。

組織を大きくして会員を増やせば、会員で商売ができる。

そして実際、会員を増やしていった。

これは日蓮正宗でもなく日蓮の教えでもなく法華経でもないし、仏教でもなくなった。

仏教は古代インド思想の延長にあり、どちらも真を目指していたのだがから。

それ故、創価学会は新しい宗教と言えるだろう。利善美教と言ってもいいかもしれない。

2代会長の戸田は、創価学会は日蓮正宗の外護団体にすぎないから、日蓮正宗を守るためなら創価学会がつぶれても構わないと言った。

それでいくと、池田がひきいる創価学会が日蓮正宗と喧嘩するなんて考えられないのである。

しかし、利で考えてみてはどうだろう。もう日蓮正宗を利用する必要がなくなり、日蓮正宗の外護団体では利がなくなったなら、一緒になる必要はないのである。

野党として政治をするより、与党にすり寄った方が、利があるのなら、当然そのようにする。

東京都が小池旋風により東京都の自民党に与するより小池新党にすり寄ったほうが、利があると思えば当然、すり寄るのである。

このように、利善美が根本にあるのだなと考えれば創価学会の動きは理解ができる。そして当然その信者も利が重要なのである。

ある意味、こういう団体は強いが、利がなくなれば団体は崩れても行くだろう。

こういう利で動くのは戦国時代の武士の政治のようでもある。

だから創価学会も宗教団体と言うより政治団体だともいえる。


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2017.03.06 Monday | by スポンサードリンク

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