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佛は天に菩薩は神になってしまった

2017.02.16 Thursday | by kawa-su

この世界のすべてと言っていいほど宗教(経済や政治も同じ)は天をトップとしている。

ただ、仏教だけが天とは別の存在、四聖を創った。

四聖の一つ、声聞は真理を追究する者、佛の下で修行するものとされている。

釈迦の時代では釈迦に付いて、諸国を、乞食業をしていたものを言う。

そして、釈迦に随行する弟子は数人であるから真の声聞の存在は数人であっただろう。後の十大弟子と言う存在は後に創られた存在だ。

つまり、声聞と言う地位に就ける者はほんのわずかしかいないのである。

四聖のもう一つ、縁覚は独覚、もしくは辟支仏とも呼ばれ、仙人のような存在であった。ただ、釈迦の時代には釈迦以外にも悟りを開いた者はそれなりにいて、釈迦教団では釈迦と区別するために縁覚と言う存在を創ったのである。

声聞、縁覚は、大乗仏教では小乗二乗と呼ばれ一乗の菩薩とは同じ四聖でも区別されている。

そしてその大乗仏教の菩薩だが、ほとんどの菩薩の存在は神となっている。

仏教を広めるものを助ける存在なぞはまさしく神の存在ともいえる。

つまり、佛が天となり菩薩が神となってしまっているのだ。

そうなると、大乗仏教では、仏教だけが独自に創った四聖と言う存在は全く意味がなくなってしまっている。

そして、佛が天に変化してしまった時代は大乗仏教が盛んになってからで、法華経はまさしく仏教と言うより、他の世界中の宗教と同じく天と神様をトップとする宗教となっているのだ。

これは、大乗仏教が盛んになった時代は西洋の文化、宗教も流れてきて融合された結果だと言えるし、その時代には、釈迦の時代の哲学的な仏教はすたれてしまったからと言える。

天台大師や日蓮は十界を重要視しているが、実は四聖の意味まで理解していなかった。ただ、天台大師は理解していなかっただけだが、日蓮に至っては、完全に別物としてしまっている。

もともと、日蓮は声聞や縁覚は重要視してはいなくて、菩薩と仏を重要視していたのだが、その菩薩と佛を理解できず、菩薩を神とし、佛を天としまった。そしてその結果が、日蓮が現した曼荼羅(本尊)であるのだ。

現代でもこの四聖を理解する者はいず、特に菩薩と佛を理解する者は皆無なのだ。

現代で佛を自認する者のほとんどは、天の存在であり、その天も古代インドで言う梵天と言う真理の存在ではなく神なのに天と称しているだけなのである。

そうなると佛に付く声聞は神に付く畜生と言う存在になっている。

つまり、自らが声聞だと思っている者のほとんどは、実は畜生と言う存在になっていると言うことである。

これは仏教教団、仏教集団の信者はすべて神に付く畜生だと言えると言うことだ。

本当の菩薩や仏と言う存在は、自由を選ぶために集団や教団をつくることはなく、付いてくるものがいたとしても数人が限度なのである。

だから、集団や教団をつくること自体が天を目指している存在だと言えるのだ。

ただ、この世界は天が創っているものだから、天を目指すことは悪いことではないし、この世界に生まれてきた以上天を目指すのは必然ともいえる。

ただ、どのような天を創るかでその天の価値は大いに違うし、レベルの高い天に付くことができたならば畜生でも割かし楽しい人生を送れるのだ。


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